金子氏に関する古蹟

金子坂は字広町より丘陵を越えて、金子村に出てんとする処に在あり、古よりの名称也、坂より燧石を出せりと伝ふ。御霊神社は高正寺の東北に位し、元御霊塚の上に存して、或は親範を祭れりと云ひ、或は其先妣の墓跡なりとも称す。又中島に家忠神社あり、高正寺七世驚州和尚の時、家忠の武具を埋めて其上に社を立てたりと云ふ、中島の鎮守なりしが今は八坂神社に合せり、御霊社も今はなし、館址は広町にあり、陸田の稍々平坦なる処より南方、丘陵に挟まれたる、渓間にかゝれりと覚しく、丘に近く、稍々土手跡とも覚しきものあり、其辺古瓦を出し、布目あり、或は往々にして金形を存するものあり、親範承久三年五月廿五日逝去の後、其館跡を香華院に当てたりと云ふ。