村の東方にあり、阿須山に続き、丘上の比較的高地を占む。付近に陣峯あり。平坦にして狭長なる、丘頂也。此地正平十年の昔高麗彦四郎経澄の陣せし処と覚しく、後の新堀村町田氏文書に所謂「阿須垣原」の戦は蓋し「阿須崖ヶ原』の戦ならん。丘下渓谷の間に鎧塚あり。或は明治二年発堀して石碑六基を得たりと云ひ、或は何物をも出さず。且此地田土の堆積にして、古墳にあらずと云ふ。然れども其形状等より見て恐らく其古墳なるを覚ゆる也。阿須崖、要害山の山脈頗奇異、而して渓谷に古蛇龍潜めりと称す。当年の将士地下に鬼哭して夜嗚するものそれ幾何ぞ。