宮沢

宮沢は中居の北に接し、村の西北部に位せり。戸数三十。

田辺城趾に就て

田辺氏、先祖を縫殿助と云ふ。北方の高台上に城塞を構へたりと称し、墓石系図等を蔵す。然れども仔細に検するに其墓石なるものは板碑へ、重刻したるものにして、其年代到底採用すべき限にあらず。又系図によれば田辺氏も亦丹党なれど、其細条未だ遽に完壁に近しと云ふべからざらん。思ふに田辺氏、屋敷続き十七町歩を有したりきと云へば、宮沢の豪族にして、其開発の卒先者たりしならん。而して或は居地を稍々高台の上に撰びて構堀を設け、後世之を呼で、田辺の城と称せしに過ぎざらん。

□□神社

子御前社(田辺氏の勧請)白山社、御嶽社の合殿にして、村の鎮守也。神職は田辺氏の分家、田辺氏なりと云ふ。