高麗神社
字大宮にあり。 社掌を高麗典丸と云ふ。 祭神は猿田彦命及武内宿禰及高麗王若光なりと云ふ。 高麗氏並に里伝に存する所を総合するに来歴左の如し。
天武天皇の御世高麗若光国乱を避け、本邦に来帰す。 従五位に叙せられ、親族臣民尋て来る者多し。
文武の大宝三年王姓を賜ふ。
元正の霊亀二年当国に移住せしめ、高麗郡ををく、乃ち若光居を此地に卜し、属戚群臣多く群居す。 後漸く各所に散在して地を開けり。 若光猿田彦を崇敬し一社を創し、武内を配祀し、白髭明神と称し、群中の栄盛を祈る。 若光よく衆を撫し、之を安す、共後裔分派して各姓を改む、但正統依然高麗を称す。 若光の長子家重つきし時、貴賤若光の霊を祭り、高麗神社と尊称し、遂に白髭社に合祀す。 高麗人の各地に散在せるもの之を分祀して皆白髭明神と称す、中古二十一社の多きに及べりと云ふ。
当社往古は大宮山嶺にありしを中古今の地に遷す。
宝物
若光携帯の大刀、鏡、駒の角(乗馬に生ぜしとぞ)外数品。
大般若経
建暦建保年間慶弁顕学房下野足利雉足寺に寓し筆写して奉納す。 年所をへて数巻欠乏し。 明応中補之、鰐口文明十七年正月慶璽奉納再建天文二十一年(棟札あり)
と。 高麗氏の系統甚が明なるが如く、亦甚だ明ならぎるが如し。 其祖或は福徳に出づると云ふ、大宮白髭の祭祖の如きは決して猿田彦、武内等にあらざるべし。 境内に八坂神社あり。 又境外末社水天宮あり。 今の社殿は明治二十五年改築せるものにして、社は高麗村内八大字の鎮守也。