字寺山にあり、新義真言宗京都知積院末、由緒に曰く、天平勝宝三年高麗王若光の侍、急勝楽冥福を祈らんがために伽藍を創し、半途にして寂す。 若光の第三子聖雲嗣ぎよく師の遺志を受け、不年落成し父の齎らせし聖天を安置す。 茲に高麗山勝楽寺聖天院と号す。 爾来六百余年、慶理円宗の梵筵を張りしが、貞和年間秀海上人、醐醍無量寿院僧正公紹にりき真言神秘法を禀承し、此時初めて真言の道場となる、寺は寛永年間火災にかゝれり。 寺堂大、山門壮麗、境内も広くして静寂也。 若光の墓(石五層にして高六尺五寸余)あり。 鍔日(応仁二年)半鐘(本堂の隅にあり文応二年三月鑄。 )不動書像(土佐昌光筆)、曼荼羅等あり。