高麗本郷

高麗本郷は清流の西に連り、東西二十町、南北三十町に逹せんとす。 正保の国図には高麗町と見え、元禄改定の図には高麗本郷となれり。 其後何れの頃よりか村内を四組に分ち、日向、市原、駒高、高麗本郷とせり。 而して各区里老を設け貢税を納めたりき。 其戸数六十八あり。 今は大凡七八十にも逹せしならん。

日和田山

郡内第一の名山と称す。 登道十五町、山上の眺望雄大なり。

九万八千社

字上ノ原にあり、八千歳命を祭る。 由締不明なれど、正中二年の棟札あり。 貞享二年堀口西源再建と云ふ村社也。

金刀平社

日和田山上にあり、神体を石櫃中に安置せり。

日向神社

字干鹿野にあり、貞和元年十二月十二日再建の棟札あり。 古来誤て聖天宮と称せしを明治二年復称す、村社也。

長寿寺

字上ノ原にあり、新義真言宗聖天院末、元文元年十一月八日中興の秀伝入寂の墓表存す、慶安二年十一月十七日。