八幡社
字貝戸にあり、口碑に寛永十二年建立元文五年二月比留間儀右衛門有志によりて再建すと称せらる。 村社也。
楡(にれ)木は村の東南部に位し、東西五町、南北十一町、人家四十余村内に旧家と称する農家四五家あり。 その一家に存する楡木は類無きものにして、村名も之より起れりと云。 此農民等は皆高麗王に陪従して、爰に移りしものゝ子孫なりと 云伝ふ。
字貝戸にあり、口碑に寛永十二年建立元文五年二月比留間儀右衛門有志によりて再建すと称せらる。 村社也。
字中里にあり。 元禄十年四月十八日世田ヶ谷領沼部与兵衛より市兵衛に譲渡の証書あり。
字東野にあり。 新義真言宗にして薬師如来を安置す。 創立不詳。