諏訪社
字町にあり。 由緒不明。
栗坪は楡木の西に位し、東西十町、南北九町人家百に近し。 栗を以て名産とし、之を坪内に貯ふれば翌年仲春に至るも其味変らざれば、栗坪の名の起れるものなりと云ふものあり。 慶長二年高麗本郷にありし陣屋を当村に移し、又本郷の所謂高麗町の人家も若干移り来て、隣村梅原の辺まで軒を貫ねて居をなせり。 之を以て此処を以て高麗町と称へ、四八の市立ちしが、元文二年より代官在住の事止み、其後田安領となるに及び、陣屋の跡を発開して高入とせしかば、当所の市も衰へ、後遂に廃止せり。
字町にあり。 由緒不明。
字御蔵の丘山にあり。 社下は即ち絶壁にして、高麗川其下を廻り、淀みて淵をなす、風光佳也。
一は御蔵にあり。 一は東原にあり。
字馬場にあり。 新義真言宗、聖天寺末なり。
字東原にあり、新義真言宗、聖天寺末なり。
字御蔵にあり、新義真言宗、聖天寺末。