摩利支天社
字亀竹にあり。 享保八年の社寺調書に鎮守摩利支天并に社地二畝歩の記あり。 以来勝蔵寺にて社務を取りたりし為誤りて摩利支天と称せしならんと云ふ。 高麗川下を流る。 境内に山神稲荷の両末社あり。
久保は台の西に位し土地低し、土地低湿也。 東西四町、南北十二町、人家二三十。
字亀竹にあり。 享保八年の社寺調書に鎮守摩利支天并に社地二畝歩の記あり。 以来勝蔵寺にて社務を取りたりし為誤りて摩利支天と称せしならんと云ふ。 高麗川下を流る。 境内に山神稲荷の両末社あり。
字七曲にあり。 創立不詳なれど享保八年の調書に記されたり。 明治四十四年高麗神社に合祀す。
字亀竹にあり。 新義真言宗、聖天院末なり。