横手

横手は村の西部にして東西十五町、南北一里余、人戸八九十、天正の頃山口若狭守が領せしこと村民山口氏の文書に見えたり。

高幡横手神社

武御名方、誉田別等を祭る。 口碑に貞観十二年誉田別命を祭り、八幡神社と称し、其後貞治二年武御名方命を并祀して、単に諏訪大明神と称し来れりと。 慶長六年二月社殿造雲の棟札あり、札に大檀那大久保重兵衞、小且那山口若狭守の記あり。 寛永十年三月十五日旧神宮高野越後守常近京都吉田殿より神宮免許状与へらる。

瀧泉寺

字坂下にあり、新義真言宗西京仁和寺末、慶応二年十一月十三日火炎に罹り、堂閣を失ひ古記の徴すべきなし。 万寿元年創立の事所蔵大般若経の末に記されたれども、経は天正十八年小田原落城の時、北条の臣杉田左馬輔当時へ奉納せしものなりと云ふ。