武御名方、誉田別等を祭る。 口碑に貞観十二年誉田別命を祭り、八幡神社と称し、其後貞治二年武御名方命を并祀して、単に諏訪大明神と称し来れりと。 慶長六年二月社殿造雲の棟札あり、札に大檀那大久保重兵衞、小且那山口若狭守の記あり。 寛永十年三月十五日旧神宮高野越後守常近京都吉田殿より神宮免許状与へらる。