字坂下にあり、新義真言宗西京仁和寺末、慶応二年十一月十三日火炎に罹り、堂閣を失ひ古記の徴すべきなし。 万寿元年創立の事所蔵大般若経の末に記されたれども、経は天正十八年小田原落城の時、北条の臣杉田左馬輔当時へ奉納せしものなりと云ふ。