鹿山

鹿山は村の中央部に位す、元光音寺鹿山と称し、今も里人「光音寺」と呼ぶことあり。

鹿山地方元一村にして、往古加山又は賀山と記せるものゝ如し。 古碑に加山と刻し、役帳に賀山と見ゆ。 後四に分るゝに及び、鹿山村は村内の寺号を冠せしめて、光音山鹿山と称せる也。 故に正保国図には光音寺鹿山と記せり。 又村の東部を道添鹿山と云ふ。 古川越道の沿道なりしを以て此称ありと云ふ。 後明和年間(宝暦とも云ふ)領主を異にせしを以て鹿山、上知鹿山と称せしも、明治七年再び鹿山と称するに至れり。

光音寺

慶加山と号す、真言宗聖天院末、開基栄源年代不詳、薬師堂あり、旧村名の因となりし寺院也。

陣屋跡

村の西部にあり。 高麗領の陣屋ありしを後、高麗村に移せりと、傍に首切地蔵あり当時処刑せられし者の霊を慰むる為に後世設けし所なりと云ふ。 今其の影を見ず。