上鹿山は村の南部に位し、元上信より八王子への運送道に当り、宿駅甚だ隆盛にして、其問屋たりし関戸氏の如きは「金が産(な)る」とまで形容せられたりと云ふ。 以て繁昌の状を知るべし。
元八剣神社の社地を増し明治四十二年三月上鹿山、原宿、鹿山、中鹿山、下鹿山、新堀新田の六大字の村社及無格社十一を茲に合社し、高麗川神社と称す。
真言宗聖天院末にして明治元年飯能戦争の際に松平周防守陣地たり。 今は本堂荒廃を極む。