高萩院跡

宿の西、高麗街道の北に位す。 駒形山弥勒寺萩ノ坊と号し、本山派修験にして聖護院直末なりき。 永久年中の創草にして、長寛の頃より一寺となれりと云ふ。 古き修験にして勢力ありしを知るべし。 寺宝としては王義之十七帖、江戸時代に属する文書数点等を蔵す。 定市の法度其他の文書は今紛失せり遺憾と云ふべし。 明治の始修験を止め、本姓岡野氏を称し、神職たり。