宿の北部に堀内と称する処あり、小畔川を北にせる高台にして、人家二三戸あり。 此辺或は館跡なりしにや。 其南方三四町にして、高萩院後方の台地にも土居の跡あり。 其東部は蔵屋敷跡と称せられど、土居の全体は別に其居住者を有せざるべからず。 如何なる人の住せしにや。