延命寺に接して、其西方鬱蒼たる森林あり。 延命寺は元其一部にありしと伝へらる。 林叢を分けて、中に進めば土居の跡或は明に、或は隠かに、即ち其東部は寺跡と覚しく、西部は館跡と覚し。 邸鎮守の如き小なる神社もあり、依て少しく何人の住せし所なるやを吟味せしに、寺僧の甚だおぼろなる伝に西山は西山将監の居地なりとの説もあれど、発智氏の祖発智太郎の居地と云ふもありと。 之を発智氏に就て尋ぬれば、西山は祖先以来何故にや甚だ重要なる土地と云ひ伝へられ、猥りに手を附けざる慣習なり。 と。 其系図には西山莊監の名も見えたり。 或は思ふ此地古西山氏住し、然る後に発智氏代りしか。 系図の最初の部分は未だ遽に信用する能はず。 然れども西山最後の居住者は発智氏なると、稍々明かなるが如く、数代若くは十数代以前、此処を去て今の処に移り、専ら帰農拓地の事に従へるものならん。 延命寺は恐らく西山氏などの開基にて、発智氏の如きも力を盡したるものならんか。