脚折
脚折(すねおり)は村の北部に位し、豊岡坂戸街道に沿ひ、川越越生街道の辺にも及べり。
脚折或は臑折と書するを以て正しとすべきにや。
戸数一百弱。
脚折新田は亨保年中脚折の人利兵衛等の開発せる処にして、村務等凡て本村に役属せる小村なりしかば明治八年脚折と合す。
下向にあり。
村社なり。
風土記に曰く、「往古は臑折大田ヶ谷、羽折(此村今なし)和田(臑折の小名)高倉大六道(今上新田)小六道(今中新田)七ヶ村の総鎮守たりしと云ふ」と。
今は脚折の鎮守なり。
古式として例祭日早旦社前庭上に注連竹を立て、新調の弓矢を飾り、氏子一同出場して威儀を正し、飾弓矢を巡る風ありと云ふ。
何れの頃の創立なるを知らず。
天正二年再営、明暦、寛文、延宝以下数次再営の棟札あり。
錦旗二流、元亀年間平野弥次郎源重朝の寄進なりとやら称す。
社地に周回二丈七八尺の巨欅あり。
又雷電天神八幡神明愛宕等の末社あり。
安養山蓮華院と号し、大智寺末、開山不詳、明和八年隆澄を法流開山とす。
朱門あり、古池あり。
本堂の正面に大なる虎の額を挙げたり。
傍の小堂に慶安三年と記せる鰐口あり。
東北隅の小字にして、叢林四闡を隔て、水田廻りて一小島の状を為せり。
内に一杉樹あり、往年大松樹ありしも枯朽せり。
口碑に往古鶴の巣籠れる処と云ふ村名は之より出でし也。
越生坂戸両街道の合する処に近く、小塚あり。
昔正月十五日脚折中の門松飾等を集め此処にて之を焚し、塞祈を祭れりと云ふ。
俗に之をドンド焼と云ふ。
即才道木して塞戸来又は道祖土来ならんと云ふ。
カンダチガ池と呼ぶ。
昊天に雨を祈る。
其時里民麦殼にて龍体を作り、人力を以て池中を遊泳せしめ、壮年者池中の龍体に雨ふんたんぢやりと呼ぶを風とせりと云ふ。