下向にあり。 村社なり。 風土記に曰く、「往古は臑折大田ヶ谷、羽折(此村今なし)和田(臑折の小名)高倉大六道(今上新田)小六道(今中新田)七ヶ村の総鎮守たりしと云ふ」と。 今は脚折の鎮守なり。 古式として例祭日早旦社前庭上に注連竹を立て、新調の弓矢を飾り、氏子一同出場して威儀を正し、飾弓矢を巡る風ありと云ふ。 何れの頃の創立なるを知らず。 天正二年再営、明暦、寛文、延宝以下数次再営の棟札あり。 錦旗二流、元亀年間平野弥次郎源重朝の寄進なりとやら称す。 社地に周回二丈七八尺の巨欅あり。 又雷電天神八幡神明愛宕等の末社あり。