町屋は村の西南端にあり。 元、入間郡の住民来て開墾したる処と伝へ、寺家村とも称し、又町谷村とも記したりき。 寺家は小名となれり。 人戸二十余。 古の鎌倉街道は此地を通過せしならん。
町屋に寺家と称する小名あり。 又稲荷窪に陣屋跡ありと云ふ。 依て或は寺家を以て高麗寺跡と称し永享十二年上杉修理亮が陣せしは此処なりと。 云ふものあれど、之れ相州高麗寺ならざるか。