神明神社
古記なけれど、村人は弘安二年の勧請と云ふ。 村社也。 明治五年津島神社を合し、四十年五月白山神社、稲荷神社、愛宕神社、浅間神社を合し、四十三年今の社殿を建てたり。 其愛宕神社は中戸にありて瓢形古墳と覚しきものゝ上にあり。 依て合祀後発掘せしに石棺あり、中に刀劔甲胄等を存せしと云ふ。
中小坂は村の南部にあり。 川越高坂街道の北に沿ひ、戸数五六十。 其原と称する処は元禄の頃十七戸今は少しく増加せり。
古記なけれど、村人は弘安二年の勧請と云ふ。 村社也。 明治五年津島神社を合し、四十年五月白山神社、稲荷神社、愛宕神社、浅間神社を合し、四十三年今の社殿を建てたり。 其愛宕神社は中戸にありて瓢形古墳と覚しきものゝ上にあり。 依て合祀後発掘せしに石棺あり、中に刀劔甲胄等を存せしと云ふ。
中戸にあり。 由城山福聚院坂坊と云ふ。 古は幽城山とも記せしとかや。 中興開山可説、二世俊良、俊良明暦二年寂す。 大智寺末、
西境にあり。 街道の北に位し、雑木林の間、高さは一丈、低きも六七尺許の土手矩形に連りたり。