東光寺

西北方後谷にあり。 薬王山浄小院と号す。 大智寺末、元暦、正和、文保、貞和、永徳、正長、文明等の板碑ありと云ふ。 寺の前方、古墳あり。 俚俗雷電山と云ふ処也。 瓢の如し、北方に高く、南に低し、高さ二丈ばかり、周囲百間、上に雷電社あり。 近傍に類似の小高き処数ヶ所ありと。 今は崩れて畑となる、全形を止めず。 先年鈴木某此墳の辺より埴輪と思しき立像二尺ばかりのものを、堀出したるとありと。

又一説に鎌倉時代、当郷付近鎌倉街道を狭て東光寺、西光寺とて二寺あり。 青木氏の寺にして、正治二年青木氏滅亡の後、護持仏薬師如来を西光寺に日光月光十二神を東光寺にうつすと。 庭前に浄水地あるによりて薬王山浄水院と号し、元弘三年新田義貞休息、薬師光を東西にはなつ、故に東光西光と云ふ。 古碑あり、法印弘栄建久五年八月寂とあり。 建久は青木氏亡滅の六年前なれば、亡滅前已に同氏の菩提寺なると疑なし。 故に承安年間の創立なりと口伝す。 義貞休息の説妄也。 青木氏亡滅の説拠あるにや。 弘治二年法印賢如住し之を中興とす。 後寛永年中隆円住し又中興となる。