八幡神社
宮町にあり。 社に神鏡あり。 裏に網代綾部藤原諤諤並田中和泉守藤原光政とほる。 社は里俗雀の宮と云ひ、元鎮めの宮なりしを土人誤りしなりと。 元領主青木氏の鎮守にして、神鏡の彫刻にいはゆる網代田中の両氏は青木氏に属する武人にて、其族今尚当所に残れりと云ふものあり。 近年白髭神社を合せり。 社は堀内にありき。
青木は村の西部に位す。 戸数七八十。 丹党青木の住せし処ならんと云ふ。 旧鎌倉街道の通路にして、宿、馬乗塚、堀内等の小名ありき。
宮町にあり。 社に神鏡あり。 裏に網代綾部藤原諤諤並田中和泉守藤原光政とほる。 社は里俗雀の宮と云ひ、元鎮めの宮なりしを土人誤りしなりと。 元領主青木氏の鎮守にして、神鏡の彫刻にいはゆる網代田中の両氏は青木氏に属する武人にて、其族今尚当所に残れりと云ふものあり。 近年白髭神社を合せり。 社は堀内にありき。
宿西にあり。 愛宕山正護院と号す。 大智寺末。 古は法勝寺と記し、 元高麗郡下広谷より移したり下広谷にては隆勝寺とも云ひ、 該地には隆勝寺原の名と地蔵二三像を残せり。 門古風なり。 隆勝門と云ひ、九柱六足の門なり。 但明治二十五年焼失す。 明和年間法流開山慧弁あり。 寛政二年寂せり。
別所と称する処にあり。 鎌倉街道の傍に位し、西北に小土手を廻らし、甲胄刀鎗の類を出せしとありと云ふ。 後世此地に薬師堂を設けしが、今は廃せられ、像は塚越西光寺に移せり。