村の西方にあり。 越生街道に背を合せたり。 正面は社道十町に近く、樹木両側に生ひたり。 社は貞観年中の創立にして、寛元元年北条時頼再営あり、文応の頃平経重之を崇敬せりと云ふ。 日枝社の傍に愛宕、御嶽以下十余の小社あり。 日枝には、第六天、神明、首頭三社を合祀せり。 元上戸鯨井的場三村の鎮守にして、樹木欝蒼其西及北の如きは密林深叢なりしが、今は開墾して、殆ど古木老樹の影を留めず。 然れども究ひべきもの尚少からず。
日枝社の神職は上戸氏と称し、社の南方にあり。 即ち昔の大広院にして、古は宝蔵院、大広院相並んて、別当を務めたりとの伝説あれども、宝蔵院の事定かならず、又上戸氏も旧家と称すれども五代以前火災にかゝりて、古書の徴すべきなし。
又此辺塚少からず。 社の華表前土手の端の円塚は恐らく古墳なるベく、之に続て其前人家のある処にも塚あり。 此の塚に関して虚無僧の殺害物語伝へらる。