山王原にあり。 即ち日枝社の境内なり、明治維新の後境内八百三坪の外段別三町四段三畝三十一歩官林となる。 其頃堀跡及土手跡等ありて古城の様あり。 古木繁茂せり。 大導寺駿河守は其墓碑及霊牌を常楽寺に存し、川越城主酒井雅楽頭は文禄元年上戸より今の川越へ移れりとの伝あり。 此城蹟は川越城と多少の関係を存するに似たり。