龍穏寺末にして、曹洞の名刹也。長溪山と号す。風土記に曰く。
天正十八年島田次兵衛重次、当村を賜りし後、慶長十二年その父左京亮某三河国より爰へ引移し、己が菩提所となしたれば、是を当寺の開基とせり。此人は慶長十八年五月十五日卒す。法名源翁永源庵主、開山は本山十四世大鐘良賀、慶長十九年正月二十八日寂せり。後寛文二年丙丁の災に罹りしを、明る三年島田出雲守再興せしと云へり。
と。後、寺は弘化三年復焼失し、嘉永二年庫裡を建て其本堂は明治十八年に成れり。寺宇清浄、鐘楼あり、山門あり、境内頗る広濶、杉樹密生せり。