明治四十二年土屋権現社に神明稲荷、幡戸明神、天神の諸社を合祀したるもの也。土屋神社の社地は、稍々大なる古墳と覚しく、本社は土室にして付近に大板石の横はれる様石棺の存せし塚穴なるが如く、拝殿は其前に建てられたり。本社土室の後方丘形を存し、周囲三丈二尺の大神代杉あり。社の旧別当大蔵院、今は神職として奉祀せり、永正十年の鰐口を蔵す。
又合祀せられたる諸社中、幡戸明神は元下浅羽分にありて、萱方城(浅羽氏の拠)攻の時、塚上に建てたる旗を神体とせるものなりと伝へたり。