石上神社
社地は高台にして、大なる古墳にかゝれり。大塚の名或は此辺に原づきしやも計られず。台下は古高麗川の流域なりしと云ふ。奇木あり。周囲一丈余。社の傍に神職木下氏ありと云ふ。
北大塚は村の最南端にあり。戸数六十。
社地は高台にして、大なる古墳にかゝれり。大塚の名或は此辺に原づきしやも計られず。台下は古高麗川の流域なりしと云ふ。奇木あり。周囲一丈余。社の傍に神職木下氏ありと云ふ。
普光山と号し、曹洞宗也。関山整重、天正八年寂す。近年火災にかゝり、今は仮堂を設く、寺地は殆ど成願寺に隣れり。
風土記には村の西北にありて、里人源庵屋敷と称すれば、或は北条源庵(氏綱の弟長綱)、若くは土地の地頭本郷氏の祖に源庵なるものありて、此処に住せしならんかと推測せり。然れども現今は里人之を知らざるが如し。