毛呂本郷

毛呂本郷は村の西北部に位し、飯能越生街道に沿ふて人家甚だ密集し、一小宿駅の観をなせり。戸数百余。

妙玄寺

宿の東方に位し、稍々荒廃せる一寺堂あり。雨宮山妙玄寺と称す。寺は曽て失火全焼し、今は一切の記録を存せず。唯天文年中毛呂土佐守顕季の妻某の設立せる所にして、開山を忠室良動(明治元年十月寂す)と伝へられ、同村小田谷長栄寺に属す。然るに寺内墓地に小五輪塔十余基あり。毛呂氏の墓と称す。何れも文字漫滅して読むべからずと雖、中に本空禅尼応永二十六年二月一日と記されたるあり。又一基陰々として徳治□年と讃み得るものあり。然らば此寺或は徳治応永の頃既に創立せられて、天文年中再興せしか、或は徳治応永の二基稍々後世に至て追立せられしか、年代事蹟今詳に考ふべからざる也。

妙光寺

妙玄寺の南に又一寺あり。寺堂大ならず。妙光寺と称し、妙玄寺に属す。其設立も遥かに降りて元禄若くは宝永の頃(徳川五代将軍)にありと云ふ。

毛呂氏館跡

妙玄寺付近約一町歩許の地方を称して堀内と名く。土地比較的高く、其西北は漸次下降して毛呂川の低地なり、其東方は臥龍山を控へたり.此辺今も尚布目瓦を出し、旧馬場村も其東北に隣接せり、思ふに此地毛呂氏の館跡たりし処なるべし。