旧平山分の西部、古宮明神に近く、土居の稍々長方形に連続せる処あり。土人称して堀内と請ふ(今はあまり称せず)今は斉藤氏の居となれり。曽て何人の住せし所なるやは口睥にも存せずと雖、北条役帳平山長寿十六貫二百廿八文入西郡(小山)平山(檜原)、及平山善九郎十六貫七百文平山分とあるを見れば、或は此平山氏の居跡なりしにや。