出雲伊波比神社

臥龍山上相並て二社あり。其稍々小なるは八幡宮にして、稍々大なるは飛来明神社也。飛来明神毛呂氏代々の守護神なりしが如く、八幡宮は恐らくは鎌倉時代に設立せられしものならん。然るに延喜式神名帳によれば入間郡五坐の神の内出雲伊波比神社の名ありて、其所在明かならず。此に於て維新の頃勤王家横田直助等熱心に主張する所あり。遂に飛来明神を改めて、出雲伊波比神社と称するに至れり。社に大般若経残缶二三十巻あり。又北条氏政の鐘借用に関する古文書を蔵す。其他徳川時代の文書少なからず。毛呂村内の神社は今は大抵此社に合祀し、神官は紫藤氏。社後に末社等甚だ多し。