臥龍山の南に住す。其祖紫藤貢は毛呂氏の臣にして、此社の社司となれりと云ふ。小田原役帳に紫藤新六、十八貫七百六十三文入西郡大類卯検地、六貫三百四十五文同大類、卅貫文御蔵出、以上五十五貫八文とあるは恐らく其一族なりしならん。其後吉田家の配下となりしことあり、現主宣安氏に至て十六代なりと請ふ。其家屋、大柱にして劉らず。頗る古色あり。