越生神社の東、市街に面せり。新義真言宗山城国醍醐三宝院の末にして松溪山と号す。古は報恩寺と記せり。今の寺地の南寺井に伽藍を設く。越生家行の再興にして、其以前或は小庵若くは小坊などのありしにやあらん。家行再興の後屡々土地の寄進、寺堂の改修等あり。寺観の盛大なりしを窮ふに足る。中興の開山は栄曇、応永二十五年寂せり。或は此頃より真言に属し、松溪と号せしにや。三世晏慶に至て兵火あり、伽藍文書等一切を失ふ。其後徐々興復の工を起し、寛永十六年に至り頗る旧観に復するを得たりしが、明治に至り町役場に使用せし時、過つて火を失し、寺堂烏有に帰し、山門鐘楼土蔵等を残すのみ。古来の名刹も今は其面影を忍ぶに由なし。
法恩寺に蔵する高野明神丹生明神の二幅は国宝に属し、其他仏書の類多し。又境内の一部に板碑あり。年譜録に就ては改めて述べず。