台にあり。後は山にして、前は狭長なる低地也。新義真言宗にして今は法恩寺に属すれども、古は三宝院直末にして、法恩寺と軒輊あらざりしと云ふ。応永の頃十八個の末寺を有す。瑠璃山東園院と号す。天平年代の創立と称すれども明ならず。中興法流開山曇秀寛正四年二月四日寂す。慶安二年第十四世承尊の記せる由来記あり。元禄年代之を清書す。天正十八年前田利家の禁制書あり。並に其説明書あり。十九世宥朴の書也。別に宗門関係に属する応永時代の文書多けれども、聊か吟味を要すべし。心経筆写一枚、玉幡二流あり。本堂、庫裡、薬師堂、門墻等古の面影なしと雖、寺観未だ必ずしも見るべからざるにあらず。本堂に承応三年の鐘あり。頗る長方也。墓地に板碑数基あり。寺の東隣は鍛冶屋敷と云ひ、其辺石田姓多し。