越辺川の左岸にあり。寺後は丘陵也。越生山と号し、太田道真の開基と伝ふ。古老の説に寺は元越路房と称する処にありしを此地に移し、龍穏寺末とせしなりと云ふ。越路房は此地を去る遠からず。寺堂明治三十五年焼失し、今は仮舎を設く、見るべきものなし。