北条氏滅び後醍醐天皇一統の治世となりしも、天下不平の徒所在に出没し、建武二年七月十四日北条時行は兵を信州に起し、諏訪滋野の諸族に奉せられて、二十二日武蔵に入り、足利直義が派遣せし渋川刑都、岩松兵部等の軍を破り、女影ヶ原、小手指ヶ原及府中に戦ひ、破竹の勢を以て鎌倉に突進し、直義追へり。 之を建武二年の役とすベし。 一般には時行の乱を中先代の乱と呼ぶ。