徳川時代の城主
天正十八年七月
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酒井河内守重忠(一万石)
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酒井正親の第二子。
小田原攻に功あり。
厩橋に遷る。
慶長十二年
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酒井備後守忠利(三万七千石)
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重忠の弟。
城内に卒す。
国政にも参与せり。
寛永四年
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酒井讃岐守忠勝(十万石となる)
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忠利の子。
大智にして至愚の如かりしと云ふ。
小浜へ遷る。
大老となる。
寛永十一年
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相馬虎之助 城代
寛永十三年
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堀田加賀守正盛(三万石)
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母は春日局なるを以て勢力あり、六人衆となり、後枢機に与る。
松本に移る。
寛永十五年
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水谷伊勢二郎 城番
寛永十六年
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松平伊豆守信綱(六万二千石)
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有名なる「智慧伊豆」にして国政に与り頗る功あり。
島原役に功あり。
川越城を拡大す。
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松平甲斐守輝綱
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信綱の子。
島原役に父に従ふ。
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松平伊豆守信輝
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輝綱の子。
治水、開墾にも力を用ゐしが如し。
古河に移る。
元禄七年
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松平美濃守吉保(三万石)
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徳川綱吉に信任せられ、微禄より昇て諸候となり、国政に与て威権あり。
領地にも土木開拓等の計を廻らせり、甲府に移る。
寛永二年
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秋元但馬守喬朝
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秋元伊賀守喬房
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戸田忠昌の子にして秋元家を嗣ぎ、正徳四年立り。
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秋元但馬守喬求
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戸田忠余の子。
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秋元摂津守凉朝
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秋元隼人正貞朝の子。
国政に参す。
山形に移る。
明和四年
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松平大和守朝矩(十七万石)
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結城秀康の五男直基の曾孫にして義和の子。
川越に来て卒す。
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松平大和守直恒
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明和五年立つ。
久能山、東海駅路改修に力あり。
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松平大和守直温
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文化七年立つ。
命を以て京師に使す。
幾許もなく卒す。
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松平大和守斉典
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文化十三年立つ。
兵を浦賀に出す。
文学を奨励し、長野豊山の門人保岡孚を招聘し、日本外史を飜刻す。
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松平大和守誠丸
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安政元年卒す。
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松平大和守直候
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徳川斉照の八男にして八郎丸と云ふ。
勤王の思想に富む。
万延元年二十三歳にて卒す。
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松平大和守直克
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有馬頼徳の十三子也。
万延元年厩橋に移る。
曽て幕府の総裁職となり、内外の施設見るべきものあり。
今の松平直之伯は其子也。
文久二年
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城主欠
慶応三年
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松平周防守康英(八万四百石)
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松平の支流康斉の子、本家を嗣ぎ初石見守と称し、樺太境界談判に偉功あり。
明治元年本姓松井に復す。
二年致仕す。
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松平周防守康載
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戸田光庸の子。
二年立ち、四年華族に列せられ、十二年故ありて実家に復り、康英の子康義嗣ぐ。