本丸
城の東南部に位し、方一町半ばかりの処にして、南北に二門あり。 南にあるを天神門と云ひ、北にあるを北門と云ふ。 本丸の内に三芳野天神社及城主の館あり、 今存する入間郡公会所は即ち其一部にして弘化三年冬上棟せし所なり。 社と館との中間巴堀あり今もその形を残す。
川越城は長禄元年築城せられ、或は文明年間なとにも修築したりとの説あり。 然るに其大増築を施されて殆ど面目を一新したるは寛永年間松平信綱の時にあり。 大凡城内に関する記事は古書何れも避けて之を載せず。 唯風土記の記する所詳細也。 別に川越藩の諸士にして城図を所持するものあり。 今此等と比較対照して以下順を追ふて略述する処あらんと欲す。
城の東南部に位し、方一町半ばかりの処にして、南北に二門あり。 南にあるを天神門と云ひ、北にあるを北門と云ふ。 本丸の内に三芳野天神社及城主の館あり、 今存する入間郡公会所は即ち其一部にして弘化三年冬上棟せし所なり。 社と館との中間巴堀あり今もその形を残す。
本丸の塁上二個所に櫓を設けたりき。 其西北の隅にあるを虎櫓と云ひ、西南の隅にあるを富士見櫓と呼ベり。 虎櫓は二重の櫓なりしも今其跡の塁形を失ふ。 富士見櫓は今御岳祠を祭り、土手旧状を呈せり。
本丸の北の一廓にして新館落成以前久しく城主の居所たりき、東西に二門あり、東にあるを蓮池門となし西にあるをニノ丸門と名く、東北隅に菱櫓あり、二重櫓なり。
本丸及二丸の西に位し其南部を八幡曲輪とも呼ベり。 西方に門あり三丸門と云ふ。
三丸の西に当り三個所に分れたり大抵家老屋敷を設く。 中門あり、境門あり、西大手門あり、田曲輪門あり、南大手門あり。 両大手門前は所謂三ヶ月堀となれり、外曲輪の築造は凡て松平伊豆守の手によりき。
本丸の南方に当り東に清水門あり又南の土手上に米蔵あり、清水門に近く八幡社天満宮及高松院あり、此処も松平信綱の築造なり。
二丸の北より本丸の東に及び、曲輪の内は芝地なり土手の上に米蔵及郷蔵を設けたり。