中院及南院

中院及南院に就ては其何れの頃より創まりしやを知らず。 一般に伝へらるゝ所によれば、山寺号開山中興等都て喜多院に同じく、北中南三院相並て鼎足の状を為せしも、草創より永禄までは中院殊に盛大にして、其後喜多院繁栄し、中南二院に向ては神領の中三十石を附与するのみとなり、遂に北院の寺中の如き観を呈するに至れりと。 中院は元今の東照宮の辺にあり、依て名けしものゝ如く、南院は明治のはじめ廃寺となれり。

中院に古文書あり。 慶長十二年三月十九日仙波仏地院住僧宝尊を権僧正となすとの宜旨を記せり、書は大日本史料にも載せたり。 之に依れば中院は元仏地院と称せしものなると明也。

其他喜多院の付近には成就坊、仙境坊、広仙坊、星行坊、常蔵坊、明星坊、心鏡坊等あり。 学寮もありしが、今や全く其形跡を存せず。