曹洞宗龍穏寺に属し、豊田山と号す。 天文二年の開創にして開山は足立郡赤山村金剛寺第二世也。 開基は安通善長居士(天文五年卒)にして俗名豊田隼人と称せしならん。 然るに正徳二年の鐘に竜穩十二代鉄心御州の創開と記し、又別に新井帯刀(生卒年月不詳)の開基と称する説あれば、彼を創開とし、之を中興とすべきにや。 宝暦二年寺堂再建す。 豊田氏の後と称するもの村内にあり。 田中を氏とす。 或は豊田氏故ありて入間川町田中に移り、彼地の田中氏此村に移りしにや。 今も田中氏の後方構掘の跡あり。 新井氏も村の旧家、同じく構掘の跡あり。 寺は元境内一町、頗る広濶なりき。 薬師堂あり。 墓地に豊田隼人の墓と称する五輪塔あり。