熊野と称する所にあり。 社伝に曰く永禄の頃北条長氏の孫川田今成本村を開墾し、後天正三年九月紀州熊野神社の分霊を勧請し、幾何もなく社地を東北現今の処に移す。 是より後村民尊崇し、之を氏神となす。 元禄三年川田平左衛門村民と計り、 祠宇を改造し、 明治五年村社に列せられ、 十年再び改造を行ふ。 村内にありし氷川、天神、稲荷の三社も近年熊野神社に合祀せり。 社地樹林あり。 又田間の一勝区たり。