今成

今成は村の東部より北部を占めたり。 川越町を去る五六町のみ。 戸数七十六。 今成の名称は川田備前守今成が此地を開墾せしを以て名けしとかや。

熊野神社

熊野と称する所にあり。 社伝に曰く永禄の頃北条長氏の孫川田今成本村を開墾し、後天正三年九月紀州熊野神社の分霊を勧請し、幾何もなく社地を東北現今の処に移す。 是より後村民尊崇し、之を氏神となす。 元禄三年川田平左衛門村民と計り、 祠宇を改造し、 明治五年村社に列せられ、 十年再び改造を行ふ。 村内にありし氷川、天神、稲荷の三社も近年熊野神社に合祀せり。 社地樹林あり。 又田間の一勝区たり。

安楽寺

金縄山広厳院と号し、天台宗にして川越中院末。 開基不詳なれども或は川田氏にや開山賢海(?)、中興は高海慶安元年五月寂す。 境内に川池あり。 旧境内は更に北方に拡かりしものゝ如し。 薬師堂及弁天社あり。

今成屋敷蹟

安楽寺の東に続きたる、広濶なる一宅地にして即ち川田備前守今成居住の地也。 其子孫久しく此処に住したりしも、近年川越町に移れり。

月吉屋敷蹟

村の東南方水車付近の地にして今は小名を月吉と称し、其小橋を月吉橋と名けたり。 廻国雑記に「月吉と云へる武士の侍り、聊か連歌などたしなみけるとなん。 雪の発句を所望し侍りければ、云ひつかはしける。 「庭の雪月よしとみる光かな」これにて百韻興行し侍りけるとなん」と。

日吉屋敷蹟

村の西南方にありと云ふ。 日吉は小名とならざるが如し。 風土記に曰く、日吉は当所を開墾せし人なりとのみにて其伝の詳なることを知らず。 想ふに月吉と対して日吉と号する時は、共に其人の号にして、別に姓名ありしならんと。 然れども月吉に対するに日吉を以てす。 事聊か小説的戯曲を交へしやを覚えしむ。

神田屋敷蹟

風土記に曰く、名主喜兵衛が居屋敷の内にあり。 川田、月吉、日吉、神田、四人当所を開きしと云ふ。 と。 但現今今成に神田姓なく、又其屋敷蹟と称する処をきかず。