野田新田八幡にあり。 寛治五年源義家の勧請と称すれど信ずべからず。 明治五年村社に列す。 更に風土記を閲するに、「社は御茶湯塚と云へる塚上に建つ、川越養寿院の持、御茶湯塚とは神祖此辺遊覧の時、此塚上に休息せられし折、塚下の宝林庵より御茶を奉りし故なりと。 或は然らん。 宝林庵は今廃寺となる、付近を今も御茶カン坊と呼べり。