風土記に曰く。 川越養寿院の持、境内に開基卷光院雲誉西居士、享保三年三月二十三日卒すと云ふ碑あり。 こは俗名新藤平四郎吉安川越志義町に住せし由、又中興開基高節斉省日孝居士、寛延三年七月八日俗名高山甚五兵衡宜繁とあり、これは秋元但馬守藩なりと云ふ。 云々。