芳野村地方は何れの頃より開けしか詳ならずと雖、思ふに川越城の築造は大に其発展を促したるべく、後北条氏の時代に至ては、村の各地、其麾下の知行せし所ならしを知る。 役帳に
富永弥四郎二十五貫文河越谷中
山中孫七郎百八十一貫三百八十二文河越三十三郷伊佐沼
太田新八郎八貫五百文河越鴨田
案独斉二十二貫文入東鴨田
と見ゆ。 天正十八年徳川氏関東に入りてより後は、終始川越城に附属し、川越城の増築、乃至要害の設備、入間川の新河道開鑿等は此村に関係を及ぼしたると、少からざるべく、維新の際に至ては、明治二年川越藩に、四年川越県に、次で入間県(一大区五小区、伊佐沼は二小区)に、六年熊谷県に、九年埼玉県に属 し、十二年入間高麗郡役所々轄、十七年北田島連合。 廿二年芳野村となる。