上南畑神社
村の南部、新河岸川の堤防に接せり。 元水越神社と称す。 文明十八年創立の由緒ありと云ふ。 明治三十九年村内の明石明神社(村社)、氷川神社(同上)、蛇木神社(同上)、稲荷社五、愛宕社一、須賀神社一を合し、上南畑神社と称す。
上南畑は東大久保の南に接し、村名は元難波田と記せしと既に述べたり。 下南畑と併せて一村なりしが、江戸時代の始、上下に分れたりと覚しく、正保の国図には既に上下難波田あり、又難波田新田もあり。 戸数百七八十。 東西十五町、南北七八町也。
村の南部、新河岸川の堤防に接せり。 元水越神社と称す。 文明十八年創立の由緒ありと云ふ。 明治三十九年村内の明石明神社(村社)、氷川神社(同上)、蛇木神社(同上)、稲荷社五、愛宕社一、須賀神社一を合し、上南畑神社と称す。
上南畑神社の北に接し、閑静なる寺院也、新義真言宗京都報恩院末にして密樹山と号す。 慶長十五年の起立と伝へられ、中興開山を承秀と云ふ。 明暦二年寂せり。 鐘あり。 安永六年の製にして、第九世寛慶の銘文を刻す。 本堂の裏に大杉あり。
金蔵院の北にあり。
其他此村の寺院に東光寺、常円寺、地蔵院等あり、何れも金蔵院の門徒なりしが。 今は到底其跡を弁ずるに由なし。