八幡神社
生勢ヶ谷戸にあり。 村社也。 地頭小栗平吉の建立にして、旧別当安楽寺也。 境内に八坂社、疱瘡社あり。 悪疫防護のために信仰のもの少からず。
駒林は村の西南部を占めたり。 戸数八九十。 林中駒の斃れたるによりて駒林の名ありとは荒唐なる地名伝説の一例也。
生勢ヶ谷戸にあり。 村社也。 地頭小栗平吉の建立にして、旧別当安楽寺也。 境内に八坂社、疱瘡社あり。 悪疫防護のために信仰のもの少からず。
鷲林にあり。 大己貴命を祭る。
佐々島にあり。 富士講の盛大なりし頃、土を盛り建てたる所にして、宝暦八年一小石祠を設く。 近年は講社衰へたり。
山神と称する処にあり、古は老杉甚だ多かりしも、正保年間、時の地頭之を伐採し、唯一本を残して神木となせり。 但其木も今は枯れたりと云ふ。
生勢ヶ谷戸にあり。 創立不詳なれど、元禄の頃までは村民年々伊勢へ代参を派し、御祓を請来して、此社に納めたりと云ふ。 今は其事絶ゆ。
土橋にあり。 古、老杉ありしも、正保年中之を伐探せり。
東北原にあり。 古来原の稲荷と称せらる。 古木は寛文中伐採せりと云ふ。
山神にあり。 傍に小池あり。 毎年此池に稲穂を浸して苗代を作るを以て、種冷池と称せしが、今は水枯れて唯凹地を存す。