鶴瀬村

総説

現状

鶴瀬(つるせ)村は郡の東南部に位し、川越町を去る三里、所沢町を去る亦同じ。 北は福岡村に、東は南畑村に、南は水谷村に、西は三芳村大井村に隣接せり。 其大井との境界は互に交錯突入し、笹だ弁じ易からず。 大井志木街道、南畑所沢街道は村内に於て交叉せり。

南畑村は新河岸川を越えて西に突出するを以て、新河岸川を以て之と境界を定めたる処は東境の北端及南端に過ぎず。 大井村苗間大井より来る二小流は合して新河岸川に入り、三芳村藤久保より発する一小流も村内を流れて新河岸川に入る。

土地東半は低温にして、水田多く、西半は高燥にして陸田たり。 土質も東半壞土質にして、西半軽鬆土也。 鶴馬勝瀬の二大字に分れ、鶴馬は大、勝瀬は小也。

戸数四百二十二、人口二千六百七十四。 米、麦、綿布等の産あり。

沿革

鶴瀬村には貝塚ありて、石器時代人民の居住せしと覚しく、続て其地に存する若干の古墳は王朝時代の居住者ありしを示すものゝ如しと雖、其明に古書に出でたるは後北条氏の頃に始まる。 小田原役帳によれば、上田左近百七十貫文入西鶴間村乙卯検地、及勝瀬孫六、四十三貫文、入東勝瀬村の内と記せり。

天正十八年徳川氏関東に入りしより、此辺大抵釆地となりしが、後川越領に帰せり。 但鶴馬の一部は松平大和守の前橋国替と共に前橋領となれり。

明治二年川越領は川越藩に、前橋領は前橋藩となり、四年各川越県前橋県となりしが、やがて全村入間県(二大区四小区)に入り、六年熊谷県、九年埼玉県、十二年入間高麗郡役所々轄、十七年鶴馬勝瀬駒林の連合となり、二十二年に至り鶴馬勝瀬を併せて一村を組織し、依て名けて鶴瀬村と称す。

鶴馬

鶴馬は村の大部を占め、貝塚あり、石塚あり、延慶、元徳、嘉吉、文明、安徳等の板碑も出て、其史上に存せる根跡頗る古さを示せり。 寛文の頃の刻石に入東高麗郡鶴馬など記せるありて、元禄以後入間郡と見えなり。 元禄十二年検地の時戸数二百二、明和五年検地の時二百八十戸あり。 今は三百と遙に出でたり。 慶安四年上下二組に分ち、元禄十二年上中下三組とし、明治八年に及て復一村となる。 古は鶴間と記せしが、正保三年鶴馬と改む。

貝塚

小名貝塚と称する処にあり。 低温なる水田地へ突出したる高台にして、雑木繁茂せり。 貝殻は露出せず。 元其一部に稲荷の小祠あり、貝塚稲荷と称せしが、合祀の際之を去る。 明治四十年五月帝国大学より川上文学士、石田理学士、野中委員外学生等来て、此辺を開穿し、士器等を発見せりと云ふ。 又其時近傍の石塚を発掘して石瓶、矢根石等を得たりと云ふ。

貝塚の東に「津」と称する処あり、土人は「ズ」と発音す、往古入江なりしと口碑に伝へられ(今も湿地及び沼地多し)此辺を称して渡戸と云ふ。 又御舟山と称するあり。 榛名明神、貝塚稲荷と舟に乗て此地に来りし説話あり。 貝塚の南、山室の地は原始人民の土室ありし処と称せらる。

氷川神社

折戸にあり。 正徳元年再建の棟札あり。 明治四十年貝塚稲荷。 渡戸雷電社等を合祀せり。

諏訪神社

折戸にあり。 元禄五年の創立にして、悪疫防護の神なればとて敬神講の組織あり。

氷川神社(御庵)

御庵にあり。 来歴不詳。

其他の小社

厳島社

(竹際)

稲荷

(山室)

同上

(宿)

同上(竹際)

天明七年の創立と云ふ。

同上

(谷津貝戸)

神明、厳島社

瑠璃光寺

折戸にあり。 天台宗古谷村灌頂院末。 宝瀧山延命院と号す。 創立年月不詳。 或は開山宝円安元二年示寂と称す。 十四世宝全法印寛永廿一年示寂、今住二十七世也。 火難に罹ると二三回と云ふ。

来迎寺

御庵にあり。 天台宗灌頂院末、宝暦六年十一月本堂再建の棟礼あり。 西雲山光明院と号す。

浄円寺

宿にあり。 浄土宗、川越蓮馨寺末、大眼山と号す。 天正十九年地頭多門平左衛門の創立にして単信なるものを第一世とす。

三光院

谷津貝戸にあり、開基は権大僧都法印秀逸にして、延宝二年寂す。 旧修験改めて灌頂院末となる。

其他の寺堂

慈眼寺(折戸)曹洞宗蓮光寺末、薬師堂(上沢) 観音堂(薬師前) 地蔵堂(山室) 来見堂(羽沢前) 薬師堂(御庵)

古碑

村内に応安四年八月日と刻せる板碑に、阿弥陀供養日待と記せるものありと云ふ。

秣場

風土記によれば秣場四ヶ所郡合三丁九段三畝余あり。 水子鶴馬苗間勝瀬駒林福岡川崎亀久保八ヶ村出入の地にして、貞享元年訴訟事件あり。 関係文書、今も存す。

殿山

村の東南、水谷村に近し。 地頭宮崎氏の屋敷跡なりとかや。

勝瀬

勝瀬は村の西北隅に位す。 戸数一百弱。

榛名神社

東部にあり。 文明九年四月十日入東郡勝瀬村大願主林光坊が武州吉見領小泉村大工加藤杢之助を雇て再築せる棟礼ありと云ふ。 古来五穀の守護神なるを以て、村民は榛名講を組織せり。 左の諸社は明治四十年榛名神社に合祀せり。

厳島神社

谷田にあり。 享和二年再建。

浅間社

茶立久保にあり。

稲荷(屋敷)

屋敷にあり。 元禄三年設立。

稲荷(稲荷前)

稲荷前にあり。

稲荷(稲荷久保)

稲荷久保にあり。

護国寺

前田にあり。 天台宗、灌頂院末。 龍王山と号す。 明治十六年火災に罹り、廿七年再建す。

薬師堂

高橋にあり。 前田の地蔵堂は明治十一年堂を廃して、其仏像を此処に移したり。