正蓮寺

八幡社の下にあり、門なく、堂あり、庭樹繁れり、堂の正面額あり、寂光殿と記せり、傍に三十番神堂あり、日蓮宗安房国誕生寺末にして、智永山智性院と云ひ、開山日性永正二年寂せり、此寺八幡社に近き処に墓地あり、小五輪塔の一墓石あり、文字見るべからずと雖、恐らくは風土記に云ふ所の如く「上田周防守墓、五輪の石塔にて正面に上田周防守輕国と刻し、傍に天正五年四月十六日日道とあり、周防守は北条氏の旗下にして、下南畑村に居城せし人ならん、武蔵野話が日道に就て説く所は従ふべからず。