砂新田の東に接し、其本村也。 戸数八十余。 砂新田より扇河岸及新河岸に至る街道、村内を通過せり、徳川氏の頃は常に川越城に属したり。
北部にあり、周囲七町。
村の東南、新河岸に近き高台上にあり。 此村並に付近の鎮守にして、境内広く後方に小学校あり、境内に八坂神社あり。
村の中央、街道の傍にあり。 天台宗仙波中院の末、寂光山平等院と称す。 寛永十七年円海法印起立せる所、今大に荒廃に属す。
勝光寺と街道を隔てたり。 勝光寺の所持なりと云ふ。